誰が日記と呼ぶのか。
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ここ暫く、毎日という時間が確かに流れている感覚が薄いと思っていましたが、
私の日常にさしたる変化がないのと同時に、こういった日記のようなものをまるで書かないから
日々が過ぎ去るのを実感出来ないのかもしれません。
それでも現実に何かがあれば実感もするんでしょうが…
つくづく私は何もしていないらしい。
そうこうしている内にもう7月に入ってしまいました。
そういや以前こんな台詞考えました。
時計の針が12を刻むのを見て、何を思う。
誰にも、誰にも、等しく同じだけ刻んだそれは
夢を色褪せさせ、現を突き付ける。
私が立っている場所は地の上。
私が生きている場所はこの世。
夢が夢であることを理解すれば、
自ずとそれらも理解できる筈。
これ書いた私が一番分かってないな。
時間は有限って知らない人はいないんですけどね、恥ずかしい話です。
私の日常にさしたる変化がないのと同時に、こういった日記のようなものをまるで書かないから
日々が過ぎ去るのを実感出来ないのかもしれません。
それでも現実に何かがあれば実感もするんでしょうが…
つくづく私は何もしていないらしい。
そうこうしている内にもう7月に入ってしまいました。
そういや以前こんな台詞考えました。
時計の針が12を刻むのを見て、何を思う。
誰にも、誰にも、等しく同じだけ刻んだそれは
夢を色褪せさせ、現を突き付ける。
私が立っている場所は地の上。
私が生きている場所はこの世。
夢が夢であることを理解すれば、
自ずとそれらも理解できる筈。
これ書いた私が一番分かってないな。
時間は有限って知らない人はいないんですけどね、恥ずかしい話です。
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